ところで、否認しておられる依頼者の方から、
「すいません、(犯罪を)本当はやりました。」
等と言われるケースでは、弁護士としては、一つ、注意・検討しなければならない点があります。

それは、「すいません、(犯罪を)本当はやりました。」という依頼者の発言(自白)そのものを疑う必要がある、ということです。

依頼者との話合いを繰り返す中で、弁護方針を否認から自白に切り替えるケースは確かにあります。

しかしながら、きつい取調べが続いている、取調官から暴行を受けた、などの違法な取調べがなされていたり、真犯人をかばっている(ために嘘を付いている)、など、依頼者が、本当はやっていないにもかかわらず、「やってしまった。」と発言(供述)することは往々にしてあります。

私が、刑事弁護のイロハについて指導していただいた前事務所の所長・弁護士児玉憲夫が関与していた八海事件(※)などは、その典型といえます。

(犯罪を)「やっていない」と言っている依頼者に対して、問答や裏付け調査を行っていくのと同様に、今度は、(犯罪を)「やっている」と発言し始めた依頼者に対して、問答や裏付け調査を行うことが必要になります。

関係証拠を検討する中で、依頼者の方がやったのではないか?と疑われても仕方がないと思えるようなケースほど、依頼者の気持ちや発言は揺れがちです。

しかしながら、「依頼者の方がやったのではないか?と疑われても仕方がないと思えるようなケース」だからこそ、逮捕なり勾留なり起訴なりの措置が取られているのが通常です。「疑わしい」からといって、犯罪を認める依頼者の発言をそのまま信用する、というのは、本質的には、刑事弁護活動に馴染まないものだと私は考えます。

このように、当初、「やっていない。」と言っておられたケースの場合に、「本当はやりました。」という依頼者の発言を、弁護士が鵜呑みにすることはありません(少なくとも、私は鵜呑みにはしません)。

弁護方針を自白に切り替えるのは、あくまで、私自身に一応の納得がいくケースです。
納得がいかなければ、たとえ依頼者が自白しておられても、否認事件と同様の対応を裁判所に求めることになります。

当然、辞任・解任問題に発展するケースがありますが、少なくとも、今の時点では、私自身、(辞任・解任問題に発展することを)あまり気にすることはありません。

依頼者が、虚偽の自白を通じて得ようとしている目的・利益は、刑事司法作用の中で達せられるべきものではないと考えているからです。

〔※八海事件とは〕 1951年1月24日、山口県熊毛郡麻郷村字八海で老夫婦殺害強盗事件が発生。犯人としてY(当時22歳)が逮捕され、彼自身は犯行を認めたにもかかわらず、警察は、複数犯に違いないと決めつけ、Aを主犯として他4名(うち1名はのちに釈放)を逮捕、Aたちは、警察の拷問によって偽りの自白を強いられる。裁判は、最後に最高裁が無罪を言い渡すまでに7回の裁判を重ね、17年9か月を要した。その間、第1次差し戻しで無罪釈放になったにもかかわらず、第2次差し戻しの逆転有罪判決によって再収監。最高裁に3回も行く間にAは死刑と無罪の両極を行き来するという空前絶後の裁判となった。広範なたたかいが高揚し、注目を集めた。