そこで、判例及び学会の通説的見解は、誤想防衛に出た者には事実の錯誤があったとして、罪を犯す意志(=故意)がないとして刑法38条1項により故意犯(※1)の成立を否定します。つまり、彼女に傷害罪の成立を否定します。

もっとも、このような見解に対しては、「故意を『犯罪事実を認識すること』と考える立場(=厳格故意説といいます)」から批判があります。何故なら、事実の錯誤とは通常、行為者が認識した事実と発生した事実がずれている場合をいいますが、本件ではそのような場合とは異なるようにも思えるからです。

Case2

居酒屋から帰ろうとした男が、自分の靴を履こうとしたところ、間違えて隣にあった他人の靴を履いて出てしまった。

上のCase2は典型的な事実の錯誤の事例です。Case1と同じ勘違い事例ではありますが、厳格故意説の立場の方からすると、違いがあります。どのような点が違うのでしょうか。

まず、Case2の靴の履き間違いの場合、履き間違えた人は他人の靴を自分の靴と勘違いしている点で、そもそも「他人の財物」(刑法235条)という認識がありません。ですから、「犯罪事実を認識した」とはいえないので、窃盗罪の故意がないといえるでしょう。

しかし、厳格故意説の立場の方に言わせれば、Case1は違います。何故なら、傷害罪の場合の「犯罪事実」とは「相手方に有形力を行使すること」であり、彼女は「男にスマホを投げつけるという有形力を行使すること」を認識した状態で、スマホを投げつけた筈だからです。「夜道で男が襲ってきた」というのは、「傷害罪」の犯罪事実のどこにも書いてない事実ですから、この認識の有無によって、傷害罪の故意は否定されないというわけです。

このように「故意」の内容を厳格に捉えることから、この説のことを「厳格故意説」と呼びます。彼らも、Case1の場合に故意犯の成立を全く否定するわけではなく、これは「違法性の錯誤」の問題だとして、正当防衛状況だと誤信したことについて過失がない場合に限り、違法性の意識の可能性がなかったとして、責任それ自体を否定します(つまり、故意自体は否定できないが、そういう行為に出たこと自体は非難できないから、責任がないとして無罪とするわけです)。

厳格故意説にも説得力がないわけではありません。しかし、実際問題として正当防衛状況だと誤信したことに過失がなかったということは難しく、厳格故意説の立場からCase1の彼女が無罪になる可能性は極めて低いでしょう。

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